
| 社名 | 株式会社 日本金属化工所 |
| 代表 | 代表取締役 梅田 謙作 取締役会長 荻原 良之 専務取締役 中村 守伸 監査役 町田 哲 |
| 所在地 | 長野県佐久市塩名田1068 |
| TEL | 0267-58-4331 |
| FAX | 0267-58-4333 |
| URL | http://www.nikkin-nagano.co.jp |
| info@nikkin-nagano.co.jp | |
| 営業品目 | ・白金メッキ ・金メッキ ・銀メッキ ・銅メッキ ・錫メッキ ・ニッケルメッキ(光沢/無光沢) ・クロームメッキ ・硬質クロームメッキ ・亜鉛メッキ(光沢・有色・黒色クロメート) ・ハンダ(9:1)メッキ ・パッシペーション ・無電解ニッケルメッキ、他 |
| 資本金 | 4000万円 |
| 設立年月日 | 昭和34年12月26日 |
| 従業員 | 19名 |
| 主要取引先 | 協和工業(株) 双信電機(株) コトヒラ工業(株) (株)ナガオカ製作所 長野日本無線(株) (株)ツガミ (株)城南製作所 沖電気工業(株) ミネベア(株) ミヨタ(株) 山洋電気(株) 日精電機(株) (株)エムケー 樫山工業(株) (株)ステック (株)共栄製作所 咲電気(株) |
| 昭和14年5月 | 故荻原貞良前社長が特許製品歯科医療用ジスク及び軍需用アルマイト、ニッケルメッキを東京都中野区にて始める。 |
| 昭和20年5月 | 空襲により工場焼失、長野県佐久市大字平塚に工場移転し歯科医療用ジスクの生産を再開する。 |
| 昭和28年1月 | 工業用メッキ、銅、ニッケル、クローム、亜鉛、錫、銀の設備拡張する。 |
| 昭和34年12月 | 商号を株式会社日本金属化工所として株式組織に変更する。資本金3,000千円。 |
| 昭和40年8月 | この当時の最新技術であったプラスチック製品の成型からメッキまでのラインを新設する。 |
| 昭和48年5月 | 資本金を6,000千円に増資する。 |
| 昭和49年11月 | 設備の増強をするため資本金を10,000千円に増資する。 |
| 昭和51年4月 | 亜鉛バレルメッキ自動ラインを新設。資本金20,000千円に増資する。 |
| 昭和53年4月 | 無電解ニッケルメッキラインを新設。 |
| 昭和56年10月 | 硬質クロムメッキラインを新設。 |
| 昭和58年3月 | 化成黒染ラインを新設。 |
| 昭和58年5月 | リン酸マンガン皮膜化成ライン新設。 |
| 昭和59年8月 | 現在地、現在地、佐久市塩名田に工場建設用地6,612m2取得する。 |
| 昭和59年12月 | 工場建築に入る。建坪1,095m2に一部二階建、延面積は1,203m2 |
| 昭和60年4月 | 工場完成、全自動ラック式亜鉛、銅、ニッケル、クロームメッキラインを新設する。 |
| 昭和60年5月 | 本社を佐久市塩名田1068番地に移す。 |
| 昭和61年4月 | 倍額増資を行い資本金40,000千円にする。 |
| 平成4年5月 | 双信電機(株)様のマイカーコンデンサーのチップへのメッキを全面的に引き受ける。 |
| 平成5年5月 | アルミニュウムのクロメート処理自動機を新設する。 |
| 平成6年5月 | 無電解ニッケルメッキ、ラック式自動機を増設する。 |
| 平成7年12月 | マイカーコンデンサーのメッキ部門でISO9001を取得する。 |
| 平成10年9月 | チタン及びその合金へのメッキを始める。 |
| 平成11年1月 | 無光沢錫メッキ装置を新設する。 |
| 平成11年11月 | 白金メッキを始める。 |
| 平成13年6月 | 社員寮及び研究棟を新設。 |
| 平成13年7月 | 中小企業経営革新法の認定取得 |
| 平成14年6月 | インコネル(ニッケル合金)へのメッキを始める。 |
| 平成16年8月 | 亜鉛メッキをノンシアンに変更 |
| 平成16年8月 | 6価クロムフリーの亜鉛クロメート開始。 |
| 平成17年5月 | 黒クロムメッキ開始。 |
| 平成17年6月 | チップコンデンサの鉛フリー化開始。 |
| 平成17年6月 | 無電解ニッケルメッキの仕上げ用クロム酸浸漬を中止。 |